「どう、調子は?」「絶好調!」
というのが私と父の合言葉で
しんどかろうが、痛かろうが、
一応、そう言うことになってました。
もう一つの合言葉、
「ありがとうなら?」と私が言うと「芋虫はたち」
蟻が10歳なら、芋虫は20歳?という有名なダジャレです。
これがとても父は気に入ってたので、
「なすがままなら、キュウリがパパ」→「ナスがママなら~」
というのを教えたのですが、
これがなかなか覚えられない。
「なすがままなら?」というと
「芋虫がパパ」などとこんがらがってしまうようでした。
アルツハイマー型認知症と診断されたのは
亡くなる8年以上も前のこと。
車で出かけた先からの電話、ここがどこかわからないと。
冗談でしょ、と何度も何度もつぶやきながら、
周りにある建物などを聞いて迎えに行く。
いきなりそんなことがあってからも、
ずっと変かというとそうでもなく、
かなり抽象度の高い話を交わすこともできたりして、
父の頭の中は、あの頃どんな風だったのだろう、
と、今も思います。
公務員だった父は、どうしても上から目線で
一見、えらそうに見える物言いが多かったのに、
どういうわけか、亡くなる3,4年前あたりから

「ありがとう」という言葉を頻繁に使い始めました。
ジャガイモのスープを作って持っていくと「ありがとう」
背中を掻いてあげると「ありがとう」
お茶を入れても「ありがとう」
機嫌のよい時は
「僕なんか、どっこも悪いところがなくって、
こんなありがたいことはない」
と言ってました。
一時間前に肺気腫が苦しくて、ひぃひぃ言っていたことも忘れて。
若いころ偉そうに人の批判ばかりしてた父が
何故、晩年あれほど穏やかになっていったのか、
本当に不思議な気がします。
脳が壊れていくのと反比例するように、
「ありがとうなら」を繰り返し言っては笑い、
いろんなものに本当に感謝していた父。
そんな父を3年前に看取ってクタクタに疲れ
あっという間に、レビー小体型認知症を患った母。
(若い頃の両親↑)
「ここは食事がおいしくて、ありがたいよね。
それに職員さんも本当に優しいし、ラッキーだったよね」
とグループホームの母を見舞うと、
母は浮かぬ顔で「そうかぁ?」と一言。
それがどしたんや、とでも言いたげな顔。
だからまだ当分、母は死なんよなぁと苦笑いです。
母との合言葉は「しんぼうは?」「金」
→辛抱(心棒)はお金(金属)です(笑)
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