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絶望が希望へ変わる瞬間

ふたり

「自立とは依存先を増やすこと」

東京大学準教授の熊谷晋一郎さんという方が

「自立とは依存先を増やすこと」

という意味のことを言ってます。
​​

彼は脳性麻痺で生まれました。
18歳のころ車椅子状態で、渋谷の街中で
「私はおもらしをしてしまった、だれか助けてほしい」
と叫んだそうです。
実験としてやったのだそうですが、
約半数の人が手助けをしてくれたそうです。

絶望が希望へ変わった!

おもらしをして、自分ではどうすることもできない”絶望”が
誰かと分かち合うことで、”希望”に変わった瞬間だった

と、おっしゃっています。

同じようなことを言っている人がもう一人います。
​​地元、香川県の毛利公一さんという方。毛利さんの本
この方は大学生まで健常者で、棒高跳びの選手でした。

それが海の事故で全身麻痺、
呼吸すら自発的にできない状態が1年も続いたそうです。

現在は首から上が動き、呼吸も、
言葉を発することもできるようになっています。
首から下は動かない、手も動かないのですが、
それでも、社会福祉士という国家資格を取り、

障碍者支援の会社を作り、
同じような障がいを持つ人を支援し、
棒高跳びの審判までやるようになっています。

その彼が、こんなことを言っていました。

すべての人が誰かのお世話になっている

自分の苦手なことを人に頼んでやってもらうことは
いわゆる健常者の人も同じこと、のはず。・

すべてを自分ひとりで出来る人間は
この世に一人もいないと。
でも、僕たちに比べて、健常者の人は
本当にそれを自覚しているのだろうか、と。

 

なるほど、

本当にそのとおりです。

着る服一枚、自分では作れない
車も、食品も、普段、当たり前に使っている殆ど全てのものが

誰かによって作られ、誰かによって運ばれて
私のもとへきたものばかり。
程度の差こそあれ、同じことなんだ、と
なんだか、ストンと腑に落ちます。

私たちは本当に、気づかなくても
たくさんの人にいわば、依存して生きています。

依存していることに気づかない傲慢さ

なのに、人に頼れない、頼ってはいけない
と思いこんでいる人がいます。
そんな人ほど、親とか配偶者など、
特定に一人に依存しているケースがあります。

つまり、何かの「依存症」とは、
多くの人にうまく頼れない病気
なのかもしれません。

人にうまく頼れず、一人で抱え込んだ時

なにかひとつの物とか
行為にしがみついたり、
すがったりしてそれを止めることができない、

そんな状態を「依存症」
と呼ぶのかもしれません。

その対象がお酒やギャンブルではなく
一人の人になってしまうことを「共依存」と言います。

たくさんの人に少しずつ依存すること
それが、本当の意味での自立だと
熊谷さんは言うのです。

アルコール依存から「仲間」依存へ

以前、知り合った税理士の先生で、
アルコール依存症の闇に落ち込んでいた人がいます。

そこから彼が抜け出せたのは、
アルコホリックアノニマスという
自助グループとの出会いでした。

その後、老人生協作りの活動で
たくさんの方を頼ってゆかれるようになり、
アルコールを止めている状態を維持し続けました。

人に、それも多くの人に力を貸してもらうことに、
こんな大きな意味があるのですね。

そして、それを自覚していることが
感謝という心の安定を生むのだ、と思いました。

ありがとう、だけでいい

母を見舞うと
「こんな、みんなに迷惑ばかりかけて」と言うので
この話をしてあげました。

いいのよ、迷惑だとか価値がないとか
そういうことじゃなくてね、

苦手なことを
お願いして手助けしてもらうことは
誰でもやっていること、
私もそうだし、全ての人がそうなんだよ、

だから、してもらって、ありがとう、って
それでいいのよ。
ただ、ありがとう、なんだよって。

母は、ふーんと不思議そうに
私を見ていました。
私は、そんなふうに母に言ってあげられて
なんだか、とても幸せでした。

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