元気塾Blog

未熟である、ということ

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最初に、私がコーチングを学んだ時、
一番の驚きが、
「相手を支援したいと思って関わるなら、
その瞬間から、あなたはすでにコーチです」
と言われたことでした。

私たちは、何者かになるためには
資格だったり、経験だったりが必要で
そのうえでやっと〇〇です、と
名乗ることができる、
いつの間にかそう思い込んでいたからです。

コーチングと出会う前、
カウンセリング協会にも所属していて、
その中では、資格査定は厳しく、
カウンセラーでないものが、
カウンセラーを名乗ってはいけない、というような
空気がはっきりありました。

だからこそ、コーチは今すぐコーチだよ、と
言われて本当に驚いたのです。

今改めてその意味を考えてみると
入口だけではなく、
出口もないのか、と気づかされます。

つまり、この試験に受かればコーチ、
も無ければ、
ここまでくれば免許皆伝も無い、

もちろん、国際資格やエグゼクティブなんちゃらとか
段階的に資格もあることは確かだけど、
今、言いたいのはそういうことじゃなくて、

人をサポートする技術には終わりがない、
ということ。

相手によって、時代によって、
立場によって、場面によって、
その技術は変化し、成長してゆく、
それを目の前の人といっしょに
楽しみ味わってゆくものだ、

そんな気がするのです。

人は死ぬまで、成長するのだとすれば、
当然、今の私は
来年の私から見ると未熟なわけで、

未熟を恐れることなど何もない、
というか、皆、死ぬまで未熟であり続けるという、
それってなんて素晴らしいことか、

自明の真実がバーンと、目の前にある、
そんな気がするのです。

未熟な自分を知りながら、
それでも今の自分にできる限りの傾聴をし、
質問をし、承認し、フィードバックし、
そうやって、日々続けてゆくこと、
ただそれだけなんだな、と思えるのです。

カウンセラーになりたい夢はすぐ色褪せ、
コーチになりたい夢も、
だんだんちょっと違うかなぁと思い、
今は、サポーターで居たいと思っています。

「人を支援したいと思った瞬間から
すでにあなたはコーチだよ」という言葉は、
未熟であっていいんだ、という安心感と
どこまでいっても、まだ未熟なんだ、という謙虚さを
私のカラダに教えてくださった気がします。

そして今、これってものすごい財産じゃなかったのか、
と感じています。

何故なら、今日もまた一歩、
昨日の自分を超えるため、
歩き出そうとする勇気=原動力になるからです。

「人を支援したいと思った瞬間から、
すでにあなたはサポーターだよ」と、
私も今、後輩たちに言い続けています。

あなが、歩き続ける原動力は何ですか?

 

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