被害者か主体者か
もうやってられない、
ぼそっと言う声が暗い・・・
彼女は、ある介護施設の施設長です。
聞くと、
主任やチームリーダーたちが
全く主体性がない、
言われたことしかやらない、
常に待ちの姿勢だと言います。
何かあるたびに、
自分のところへ決済を求めにくる、
決めて良い、と言っていることでも
決められない、
部下に的確な指示を伝えられない、
聞いていると
立て板に水のごとく、
いかに主任たちが情けない状態なのか、
一気にまくし立てました。
普段とても主体的な方が
何かのタイミングで、
被害者意識に囚われてしまうことがあります。
この時がまさにそうでした。
なんでこう、
自主的に仕事ができないのか、
おかげで私の仕事が増えるばかりだ、
本来私のやるべきことが
少しもできない、
たまる一方で、もうやりきれない・・・
どこまでも終わりがないほど
主任たちのやる気のなさを
ノンストップで話し続けました。
コーチングセッションの時間は50分、
30分を過ぎたあたりで、
どうしようかなぁと
少し焦りが出てきました。
このまま、
愚痴をきくだけでいいのか・・・
その時、ほんの少し
彼女のトーンが下がってきたので、
問いかけました。
「どうですか? 話してみて」
「はい、多少はすっきりしました。
でも、いつまでもそんなことを言っていても
しょうがないですね・・・」
と少し我に返った様子。
「もちろん、その主任たちにも
大いに問題があると思いますが、
施設長のあなたが、
今後もずっと、
主任たちに問題がある、という見方を
続けてゆくと、
どういうことになりますか?」
「え・・・・・」
彼女は、しばらく黙ったあと、
ぼそっと言いました。
「それはまずいですよね、
施設長として部下を育てるという
役目を果たしてないことになります・・・」
「部下を育てるという役目があるんですね?」
「はい、そうでした、
一度、主任たちとじっくり話をしてみます。
何か理由があるのかもしれませんね」
誰しも、たやすく「被害者」になってしまう時があります。
環境に働きかけ、より良くしようとする「主体者」から
誰かのせいで
こんなに苦労させられている自分という「被害者」
被害者としての物語を始めると、
その立場からなかなか抜けることができません。
しかし、
誰かがちゃんと聴くことで、
その「物語」を
少し客観的に見ることができるようになります。
そうなったら、
被害者のままでいることの
未来へのリスクを本人から語ってもらいます。
リスクとは、
この場合だったら、
部下を育てる、という
自分の役目の放棄、です。
それが明確になると、
ようやく、
主体者としての物語を描けるようになる、
という順番です。
コーチとして
陥ってはいけないこと
被害者の物語をずっと話し続ける相手に
うんざりしてしまうこと、
批判的になってしまうこと、
つまり自分が
今度は被害者の物語にハマってしまうこと、です。
相手を批判して
苛立っている状態は
被害者になる一歩手前です。
しかも、
そういう状態になると
相手の話を、
ちゃんと聴くことができなくなります。
ちゃんと聴く、
どこまでいっても、ここがまずスタートです。
聴けない自分を認めると、はじめて、
聴くトレーニングの大切さが
わかってきますね。
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