元気塾Blog

騙されることよりも騙されまいとして犯す罪

信じる、尊重する、
言葉は簡単だけれど実行は難しい。

「騙されることよりも騙されまいとして
たった一つの真実を見誤ることの方が大罪だ」

と、書いた竹宮恵子さん。

昭和59年発行の『風と木の詩』
全17巻の長編でした。

このセリフは
何故かずっと私の心の中に残っていて、

信じることの本質的な意味を
教えてくれているような気がするのです。

騙されまい、という心の裏には
何があるのか、というと

要するに
損をしたくない
バカにされたくない
そんなちっぽけな自己保身。

論語にも、君子欺くべし
とあって、
これも君子たるものは
正直、無垢な心を持つ者である
だから容易に欺かれるものだ、

という意味だそうです。

初めて知ったとき驚きました。
君子ほど立派で聡明な人は
簡単に騙されないのだ、
と思ってたからです。

これも、
同じことを言っていると感じます。

だから、
信じたのに騙された、
というのは言葉の矛盾
なのかもしれません。

非行に走る子どもを信じる親とは
何度も騙され裏切られ、
それでも信じ続けること

それが信じる、ということではないか、

いつまで?

信じたことが現実になるまで。

そこまで信じ続けることが
本当の意味での
信じる、ということではないでしょうか。

だから信じる人にとっては
騙される、という言葉は消滅する、

エジソンにとって
失敗という言葉がなかったように。

尊重する、というのも
同じことなのかもしれません。

この人は尊重する、
あの人は尊重しなくても良い、

という区別はない。

つまり
人は誰しも尊重されなければいけない、

という定義を
その「尊重」という言葉は
含んでいるのだ、という気がします。

だからこそ、
信じる、尊重する、

とは言うは易く行うは難し、
なのかもしれません。

私たちは凡人なので
信じようとしてみたり、
尊重しなくちゃ、と思ってみたり、

でもいつの間にか、
小さな自分の体面やカッコばかり気にして、
小賢しくジャッジして、

信じられる人とそうでない人
尊重出来る人とできない人を
どこかで区別している。

何を信じようと
それがその人の現実になる、
それは抜き差しならない真理です。

区別する人は区別される社会が
区別しない人は区別しない社会が
その人にとっての現実になる。

だからこそ、
何を信じるのか、
何を本気で信じるのかが、
今、すべての人に問われている

そんな時代なのだと感じています。

あなたは何を信じていますか?
人を尊重していますか?

 

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