数日前、イタリアのバザーリア法について
少し触れましたが、
どうも気になって、ちょっと調べてみました。
なぜ、イタリアでは精神病院をゼロにできたのか、
不思議と言えばとても不思議です。
イタリアも1904年「ジョリエッティ法」ができた時は
日本の精神病者監護法(1900年)と同じく、
社会的危険性と公序良俗のため、
精神病者の管理と隔離、が目的でした。
ところが、イタリアでは1978年に、
フランコ・バザーリアの名前をとった「バザーリア法」が制定。
これは、なんと精神病院の廃絶を決めたものでした。
フランコ・バザーリアは、イタリアの精神科医でした。
(1924-1980年)
かれは勤務についた当初から、
窓の鉄格子を外し、病棟を解放し、
拘束衣や白衣を廃止し、
「自由こそが治療である」とうったえました。
トリエステ精神病院の院長になり、
1977年、閉鎖を決定しました。
拘束衣やショック療法、強制投薬を廃止し、
建物の施錠が解かれると、
患者たちは、グループでアパートに移り住むなど、
院外の社会に繋がっていったのです。
その翌年バザーリア法が可決成立しました。
閉鎖型入院病棟がなくなったのです。
もちろん反対する人はたくさんいました。
入院患者が外泊中に、殺人を犯すなどという事件があるたび
バザーリア法への異論を唱える人も多かったはずです。
しかし、ついに1999年、
イタリアからすべての精神病院がなくなったのです。
現在は地域の精神保健センターが、24時間対応で
支える体制ができているそうです。
日本はご存じの通り、
世界中の精神病院のベッド数の5分の1にあたる
35万床ものベッド数を誇る、精神病院大国です。
入院期間も20年以上という患者が3万人以上います。
しかも半分以上が強制入院、というのが現状です。
なぜ、日本では、
患者の「管理と隔離」思想が現在も、脈々と続き、
なぜ、イタリアでは地域で支える創意工夫が
続けられることとなったのか、
本当に不思議です。
精神科医の上野秀樹さんという方が
自分でイタリアをまわり調べたことを
書いていらっしゃるのを読みました。
そこには、トリエステという最も進んだ地域で
バザーリア改革の当時、現場にいた人たちが
長老して存在していたこと、
今もなお、長老たちが常に議論を重ね、
そのため、基本的な考え方がぶれないのだ、と言います。
基本的な考え方とは、
トリエステでは当事者の「人間性を回復」することを
何より重要な価値としていることでした。
日本は違います。
「精神症状の改善」を最も重要な価値としています。
つまり、目的が違ったのです。
一番大切な価値をどう考えるか、
それによって、現実は大きく変わるのだ、
と、上野医師は書いていらっしゃいました。
(人権センターニュースバックナンバーより)
以前にも書いた「Jin仁」という映画の一コマ、
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新しい薬や発明には
人の関心も集まり、お金も集まる。
だから放っておいても、発展していく、
でも、医に対する真摯な姿勢や
人の命への関わり方は
放っておいて磨かれるものではない、
一人の人の、強い意志がなければ
育っていかないものです。
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同じことだ、と思い出しました。
幕末には、緒方洪庵という医の倫理をもった医師が、
そしてイタリアにはフランコ・バザーリアという、
患者を一人の生きた人間と見る
強い意志を持った一人の人がいた、ということですね。
彼の言葉です、
「病人がいるのではない、苦悩を持った人がいるだけです」
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