元気塾Blog

「性格」と言いたくなる時

あの人は、こういう性格だから、
という言いかたを、
ついしてしまうことがあります。

通常、あまりよろしくない「性格」のときに
そういう言い方になったりします。

・偉そうで自分が常に正しいと思っている性格
・いいかげんでルーズな性格
・ビクビクして常に周りに合わせようとする性格
・細かいことにこだわってネチネチ言う性格

こんなふうに思ってしまうと、
そのラベルは強化されることこそあれ、
本当にそうだろうか、と見直すタイミングは
永久に失われてしまいます。

私たちは、便利な「性格」という言葉で
他者のことも、
自分のことも決めつけてしまうのが得意です。

でもよく考えてみると、
「性格」って、何でしょうか?

他者から見て、際立って特徴的なその人の個性、
といったところでしょうか。

でもそう考えると、
誰から見てそうなのか、ということにも
考えを広げる必要が出てくるかもしれません。

生まれて初めて、エゴグラムをやった時、
その図形を見ながら、本当に
目からウロコ!、というショックを覚えたのを
昨日の事のように覚えています。

私は当時(30歳ごろ)
えこひいきの強い人、または
不公平な人を嫌い抜いていました。

また、やたら頼ってくる人、
ベタベタ甘えてくる人も嫌いでした。
尊敬のまなざしを受けるのも大嫌いでした。

このふたつが
まさにエゴグラムをやってみたことで
解決しました。

CP、一般には父親的な自分と訳されますが、
理想や理念に忠実で、
こうあるべきという内的基準の強い部分ですが、
これが満点に近かったのです。

それからAC、通常従う子ども、周りに合わせる自分ですが、
これが、零点に近いほど低かったのです。

なるほど、と感じました。
エゴグラムに関してはここで詳しく述べませんが、
自分のその時のエネルギーの配分が
とても偏っていたことに気づかされたのです。

人間はだれしも、自分を中心に
物事や人を見ます。

自分が偏っているから、周りの人を
そう見てしまう、という事実に
圧倒されたのでした。

「性格」と決めてしまうと、
何の発展もない気がします。

前にも書いた「アンビバレンス」のように、
そしてエゴグラムのように、
厳しい私と優しい私、
好き勝手やりたい私と、周りに合わせたい私、

そんなものが私の中には必ずあって、
その時、どちらかが
何かのはずみで前に出ただけだ、と考えると、

私たちは、
その人の中にある無限の可能性に
目を見開かれることになります。

そして、自分の中に
また、無限のエネルギーが隠れていたことにも
気づくことになります。

いわゆる「性格判断」などで
自分を、他者を狭い枠の中に押し込めることは
やめにしませんか?

エゴグラムについて詳しいことを知りたい方は、
個別お声かけくださいね。

もっと知りたい・気になる記事はこちら。


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