「感情ミュート社会」という言葉を
博報堂の上席研究員、松井博代氏が持ち出されました。
あえて、他者に感情を出さないこと、
オンライン会議で自分の周囲を音を遮断するため、
ミュート(マイクoff)にするのに、似ている、
社会という大きな会議室の中で、
自分と相手の平穏を守るために、
自らの「心のスイッチ」操作し始めている、ということです。
自分の感情を抑えている場面で
最も多いのは、もちろん仕事の時で、83.2%。
ところが、友人と一緒の時も、67.7%で2位。
子どもと一緒の時が63.2%と続きます。
ネットやSNSを見ているときも、47.8%、
なんと一人のときも、25.1%!
(博報堂生活総合研究所「感情に関する意識調査」より)
そうなんですね、一人の時ですら、
自分の感情を抑えている、という意識があるんですね。
ちょっと驚きました。
感情を出さないのは、ネガ感情だけじゃなく、
ポジティブな感情をも抑えているのです。
いいことがあっても、自分は今、
ハイ状態かも、と客観的にとらえて、
浮かれすぎないようにしている、
失敗したときの感情の落差を最小限に抑えるため、
最初から喜びの天井を低く設定し、
心の平安を保とうとしている、
これについて、そう思うが、
なんと64.1%もあったそうです。
かなり、ビックリでした。
今の人たちは「感情」を
そんなふうにとらえているのですね。
1990年代後半から2000年、
EQ(感情知能)という言葉が広がったのは
ダニエル・ゴールマンの著作
『EQこころの知能指数』が
大きなきっかけでした。
この時代は、まだ終身雇用の時代、
仕事の成果は
「個人能力×努力」で説明されがちでした。
優秀なのに人間関係で失敗する個人、が問題とされ、
EQを磨こう、という
なんとなく明るい前向きなイメージで「感情」が
語られていた気がします。
しかし今、「感情」が
再び語られようとしている理由は、
EQ的発想では処理しきれない問題が噴出している、
そんな感じがします。
肥大化するハラスメント問題、
共感疲労やバーンアウト
感情労働の過剰化、
これらは、
感情処理が下手な個人の問題ではなく、
感情が構造的に強制されている状況
として現れています。
決定的な違いは、AIの出現です。
EQ時代は、比較対象としてのAIが存在しませんでした。
論理、計算、言語処理、知識検索、
これらはAIが急速に代替しています。
その結果、
「人間に残る仕事とは何か?」
という問題が急に大きくなりました。
そして以前にもまして出てきたのが、
・共感
・相手の感情を受けとめる
・関係を壊さない
つまり、感情です。
しかし、昔のように「感情」の扱いが得意だから価値がある、
ではなくて、
「感情」を引き受ける役割を人間に強制している、
という面が強くなってきている時代なのだ、ということです。
なので「感情ミュート族」が増えている、
もうこれ以上、個人に押し付けるなという
悲鳴なのかもしれません。
しかし、感情が人間のもつ大きなエネルギーだと考えると、
そのエネルギーを自ら小さくするような傾向は
いったいどこへ流れ着くのだろう、と
とても気がかりです。
せめて、豊かに感情を出せる場所が
少しでもあれば、
と、思ってしまいました。
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