科学の方法論の一つに
分析、分解、つまり「分ける」というものがあります。
個に分解していくことで、
物事を理解しようとする、
いわゆる近代科学に基づいた
西洋医学は、そうですよね。
症状の原因を明らかにするため
例えば身体を解剖し、
臓器に分け、細胞に分け、
DNAにわけ、と、
どこまでも、その方法論は「分ける」
というものです。
しかし、東洋医学は少し違います。
分けるのではなく、
「場」とか「流れ」に注目します。
例えば「経路の流れ」が阻害されると
身体が不調をきたす、と考えます。
しかし、西洋医学のように
解剖しても、どれだけ分けてみても、
「経路の流れ」などは見えません。
つまり、経路の流れとは、
細胞と細胞の間で起こる
コミュニケーションのようなものだからです。
ひとつの細胞をどれだけ分析しても
細胞と細胞の間でおきる流れが
見えるわけがないのです。
ユング心理学の河合隼雄さんはそれを、
「分けてしまうと漏れ落ちてしまうもの」
という言い方をされました。
人間を分解していけば、
最後はアミノ酸だの、炭素だの、水素だの、
言わば、物質が残るだけです。
でもその物質を寄せ集めて
人間ができるか、と言うと
それはもちろん「できません」
だとしたら、分解することで
失われたものがある、ということです。
それを河合さんは「たましい」とか
「いのち」と呼びました。
「対話」というものは
まさに、そういった「間に生まれるもの」
もしくは、
「間に流れるもの」と言えるかもしれません。
この流れが悪くなると
その組織は元気がなくなります。
まさに経路の流れが悪くなった身体のように、
病院で検査を受けても分からないけれど、
なんとなく倦怠感がある、
頭痛がする、肩が凝る、
いわゆる不定愁訴を呼ばれる状態に
なるわけです。
ふたり以上の人間がいる時、
その間に対話という流れがなくなると
そのグループや組織は、
身体の不定愁訴と同じような状態になってしまいます。
どこが問題なのか、
一人ひとりを調べても
何も出てきません。
「間」を見る必要があるということです。
セミナーなどで
何かお題をあげて、
フリートーキングの時間をとることがありますが、
対話にならない、
一人ひとりのモノローグであることが多いです。
それぞれが自分の意見らしいものを述べて、
それでおしまい。
これでは、流れは起きていない。
流れを起こすために欠けているのは、
相手への興味や関心なのかもしれません。
自分とは異なる相手が
どんな考え方をしていて、
どんな感じ方をしていて、
どんな価値観を持っているのか、
そこには、問いがあり、
共感や、ハテナ?があり、
自分と相手の関係性が築かれていく、
そこに流れが起きる、
そんなことを考えると、
体内でも、肝臓が大腸の状態を察したり、
大腸は脳への信号を送ったり、
膵臓のエンゲルハンス島は、
血液の状態を感じてインシュリンを分泌する、
これってまさに臓器と臓器の対話であり、
そこにうまく流れが起きるから
体は維持されているんだなぁと
ふっとそんなことを思ったりしました。
私たちは、だれとどんな流れを
作っていきたいのでしょうか?
もっと知りたい・気になる記事はコチラ














この記事へのコメントはありません。