人を支援する立場の人で、
共感力を、持ちたいと
思ったことのない人は、いないと思います。
もっと相手の気持ちを分かりたい、
もっと相手の立場に寄り添いたい、
私たちは、常にそう思いながら
相手の話を聞きます。
これまで「共感力」というと、
共感する側の能力、
というようなイメージがあったと思います。
共感力が高い、とか、低いとか。
ところが、2026年10月14日に
こんな論文が出ました。
「共感は、二者間のプロセスである」
どういうことかというと、
一方が高い共感力を持っていたとしても、
された側が、
分かってもらったと思っているかどうかは、別問題だ、
ということです。
論文では、共感を3つの側面から考えています。
1.認知的な側面
相手が何を考え、どういう状況にいるのかを理解しようとすること。
ただし、自分が理解したつもりでも、
相手の意図を正しく捉えているとは限らない。
2.感情的な側面
相手の感情を感じ取ったり、相手の気持ちに心を動かされたりすること。
こちらが強く感情移入していても、
相手が望む反応とは違うことがある。
3.動機の側面
相手を理解したい、助けたい、支えたいと思うこと。
その気持ちがあっても、
実際に相手が求めている支援と一致するとは限らない。
なので、相手の反応を見ながら、
自分の理解が間違ってないか、
自分の感情移入が適切かどうか、
それを確かめ、時には修正していく、
その往復、やり取りの中で、
本当の「共感」が生まれていく、
というような意味かな、と受け取りました。
共感って本当に難しくて、往々にしてズレる、
これは実際の現場の中で
よく見られる光景です。
「それは、さぞ辛かったでしょう」と私が言う、
「…いいえ、さほどじゃありません」と相手が言う、
もしくは
「辛いんじゃない!怒りではらわたが煮えくり返るようなんです」
と、言うかもしれません。
私たちがどこまで「共感力」とやらを磨こうとも、
相手の気持ちを分かろうとすることには、
初めから限界があるのです。
私たちは、違う人間だから。
以前、見た動画でとっても感動したのがあります。
不登校の息子を持ち、長い間苦しみ、
息子の気持ちを理解しようとし、
なぜ息子がひきこもっているのかを分かろうとし、
息子の立場に立とうとし、
そうやって、共感できることを目標に頑張ってきた母親、
ところが、ある日、
息子が珍しく、古い友人と会うと出かけ、
帰ってきた時の彼の怒りを見て、圧倒されます。
友人が息子にこう言ったそうです。
「いいよな、お前は、親の金で食わせてもらい、
自分は嫌なことを何もせず、
毎日を好きなことして暮らしていけるんだから」
息子は、家に帰ってきてから、
初めて怒りをあらわに言います。
「そんなにいいと思うなら、替わってやるよ!
なにもせず、ただ食わせてもらっていることが
どんなに苦しいことか、やってみろよ!と言いたかった」
その時、母は、
自分もその友人と同じことを、
どこかで思ってたことにふっと気づきます。
息子の激しい怒りを目にしたとき、
自分が息子の気持ちを、
これっぽっちも分かっていなかったことに気づき、
打ちのめされるのです。
そして「やさしく諦める」
という言葉にたどりつきました。
理解したいと思うこと、
分かりたいと思うこと、
それはとても大切な姿勢だけれど、
それは、裏切られることも多い試みです。
私もクライアントから、
「全然、私の気持ちなんか、分かってない!」と
怒鳴られたことが、あります。
そんな時、私は、こう言います。
「ええ、私とあなたは別の人間だから、
あなたを気持ちを100%正確に分かることなんて、できません。
ただね、
分かりたいと、理解したいと思っています。
だから、もう少し話を聞かせてください」
この研究は、当たり前と言えば当たり前のこと、
共感とは、一方の思い込みではなく、
二人のやり取りの中からしか生まれない、
だから、自分には共感力がある、と
もしも思うようなことがあったら、
その時は、サポーター失格かな、
と自分に言い聞かせています。
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